photo-hunter.cocolog-nifty.com > ポンペイ

画像をクリックすると大きな画像になります。   BC7世紀、イタリア先住のオスキ人によって、サルノ川の河口付近に集落があった。BC91同盟市戦争が始まり、ポンペイは反ローマ側についたが、ルキウス・コルネルウス・スッラによって町は征服された。これによりポンペイはローマの殖民都市となる。  AD79・8月24日ヴェスピオ火山の噴火により、8月25日にはポンペイの町は完全に埋没した。 

入り口展望台から

入り口展望台から

ポンペイ(ラテン語:Pompeii、イタリア語:Pompei)は、1世紀までナポリ近郊にあった都市国家。ヴェスヴィオ火山の大噴火により、79年に壊滅した。18世紀に発掘が開始され、現在は主要な部分が有料で一般公開されている。その遺跡は世界遺産になっている。
 末期はローマの属国となり、ローマ人の余暇地として栄えた。最盛期の人口は約2万人といわれる。噴火直後に当時のローマ皇帝ティトゥスはポンペイに使者を出すが、市は壊滅したあとだった。市民の大多数はローマなどに逃げたが、助からなかった市民も多くいた。


公共広場手前

公共広場手前

公共広場へ入るところ


現地のガイドさん

現地のガイドさん

 ポンペイ・ナポリ・カプリ島の案内をしてくれた、現地のガイド・シルビアさん(名前は定かではない)。日本語が堪能で機転が利き、今回の旅行でピカイチのガイドさんであった。ポンペイの公共広場にて


公共広場

公共広場

左端にわずかにベスピオ火山が見えている。


歩道つき道路

歩道つき道路

道路には、歩道もついていた。


中庭

中庭

裕福であったと思われる家の中庭


火山ガスで倒れた人

火山ガスで倒れた人

火山ガスで倒れた人に、火山灰が降り注ぎ、長い年月で生態は消えてなくなり火山灰は固化して空洞となっていたところに石膏を流して再現したもの。


鉛の水道管

鉛の水道管

2000年前に鉛の水道管があったとは。


娼婦の館

娼婦の館

 貿易の中心であったポンペイには世界各国の商人および船乗りなどが集まっていた。言葉が通じないので個々の娼婦のサービスを絵に描いて掲示していた。


車止めの石

車止めの石

2000年前に車止めの石があり、道は石畳で全部舗装されていた。


遺跡出口付近

遺跡出口付近